1968年(昭和43年)4月3日広島県広島市で生まれる
1991年11月22日ドラフト会議で広島カープから4位指名される
1992年6月2日阪神戦で3回に代打としてプロ初出場
1999年7月21日阪神戦からフルイニング出場の記録始まる
2000年10月11日打率3.15・本塁打30・盗塁30のトリプルスリーを達成。
2001年8月15日阪神戦、史上372人目の1000試合出場
2001年8月31日巨人戦901打席連続無併殺打となり日本記録を更新
2001年9月2日巨人戦で207人目の1,000安打達成
2002年11月22日FA権を行使し阪神へ移籍
2003年9月15日18年ぶりのリーグ優勝!600試合達成
2004年7月30日前日の中日戦で岩瀬から左手首に死球を受けるも、この日の巨人戦では右手だけでバットを握り2安打を放つ。ケガは後に骨折と判明。この日で699試合連続フルイニング出場。
2004年8月 1日日本記録700試合達成!前記録保持者元阪神の三宅秀史氏から花束を受ける。
2005年4月9日横浜戦で史上30人目の300本塁打達成
2005年6月2日ソフトバンク戦で後頭部に死球を受けるが出場を続ける。
2005年9月29日阪神に移籍して2度目のリーグ優勝!
2005年10月4日横浜戦で自身初の40本塁打を放つ
2006年4月8日横浜戦で連続フルイニング出場がカル・リプケンに並ぶ。903試合
2006年4月9日横浜戦で連続フルイニング出場を904とし、世界記録達成!!
金本知憲 鉄人アルバム

 金本選手が2006年4月9日(日)横浜戦【大阪ドーム】で904試合連続フルイニング出場の世界記録を達成しました! おめでとうございます!!

 私達多気猛虎会も904試合目に合わせていましたが、3日前の雨で広島戦が1日延びてしまい、903試合目の観戦になってしまいました。
 でもタイ記録の歴史的な日にあたり満足しています。

金本知憲選手が、904試合連続フルイニング出場の世界記録を打ち立てました。米大リーグの元オリオールズ,カル・リプケン選手が残した記録を超えたそうです。

 広島カープ時代の1999年から、実に足かけ8シーズンにわたって、すべての試合の全イニングに出場し続けました。考えれば考えるほど、気の遠くなるような大記録ですよね。

 達成への関門は極めて厳しい。まず、激しい競争に勝って、レギュラー選手であり続ける成績を保たねばならない。また、けがと故障を避けることも必須。それには、グラウンドに立ち続ける意志と強靱(きょうじん)な肉体が要ります。

 若いころ非力だった金本選手は、筋力トレーニングで肉体改造に努め次第に頭角を現したそうです。2000年に、シーズンを通して初めて全イニング出場を果たし、しかも野球選手の目標とする「打率3割、30本塁打、30盗塁」を達成しました。

 この年、主力選手の欠場が相次いだことから「チームのためにも自分だけは出続けよう」と決心したそうです。その意思を持続したことが、結果として大記録につながりました。

 ただ、連続出場記録はどこか地味な印象があります。打率、本塁打、連続安打などといった、目立つ打撃記録に直接関係するわけではないからでしょう。

 でも私たちに訴えかけてくる何かがあります。記録の数字ではなく、金本選手の姿からではないでしょうか。それは日々の地道な努力の積み重ねの大切さだと思います。

 死球によって手首を骨折した時も試合に出続けました。金本選手は「休むことは仕事を放棄すること。仕事に対して強い思いがあるかどうかだと思う」と話しています。

 ともすれば、今の社会が置き忘れがちな姿勢ではないでしょうか。この精神が大きな成果を築いた事実をかみしめたい。

 さらに金本選手の軌跡をたどれば、共鳴するものがあります。

 広島からのドラフト指名が「4位」で、大きな期待があったとはいえない。野球選手として壮年期の30代に花開き、昨年は自己最高の成績でセ・リーグのMVPを得ました。そして2006年4月3日に38歳になったばかりで、ついに金字塔。

 励まされた人は多いでしょう。私もその1人です。

 確かに、だれでもまねのできることではない。
 ただ、金本選手は「持続することの大切さ」、「努力に勝る天才なし」という言葉の意味をあらためて教えてくれたような気がします。


金本選手のホームページ